いずみりゅう
狂言方の流派のひとつ。室町時代中期の佐々木岳楽軒を流祖と伝えるが、江戸時代初期の1614年に山脇和泉元宜が尾張徳川藩のお抱えとなり、野村又三郎家、三宅藤九郎家を客分として迎えて流儀が確立した。禁中で狂言を演じるとともに、尾張藩や加賀藩などの庇護も受けていた。上品で柔らかな芸風が特徴だが、流内に3つある派にはそれぞれ独自の台本が伝えられており、現在も各々の台本で舞台が上演されている。三派を比較すると演技・演出に違いもみられるが流内の交流は活発で、派を超えた共演も多く見られる。
狂言方の流派のひとつ。室町時代中期の佐々木岳楽軒を流祖と伝えるが、江戸時代初期の1614年に山脇和泉元宜が尾張徳川藩のお抱えとなり、野村又三郎家、三宅藤九郎家を客分として迎えて流儀が確立した。禁中で狂言を演じるとともに、尾張藩や加賀藩などの庇護も受けていた。上品で柔らかな芸風が特徴だが、流内に3つある派にはそれぞれ独自の台本が伝えられており、現在も各々の台本で舞台が上演されている。三派を比較すると演技・演出に違いもみられるが流内の交流は活発で、派を超えた共演も多く見られる。