いせさるがく
伊勢神宮の神事に奉仕した猿楽座。世阿弥の『風姿花伝』にも「和屋、勝田。又今主司(青苧)一座在」と記され、室町中期の同地では三座が活動していた。中でも「和屋」「勝田」の二座は平安時代にまでさかのぼり、もとは寺院で呪師の芸を演じ、後には猿楽も手掛けたらしい。桃山時代に庇護者の北畠氏が滅ぼされると、衰退して青苧が滅び、江戸時代は喜多流に属して勤仕したが、幕末~明治期にはそれも困難となった。現在まで伝わる呪師芸は、伊勢・一色神社例祭の翁舞の中で神楽の名で演じられ、翁猿楽の源流である呪師芸の名残をとどめるものとして重要視されている。