たかやすりゅう
能のワキ方の流派。河内国高安に住した高安長助(1585没)を流祖と伝え、金剛座ワキ方で後に10世金剛大夫を継いだ金剛又兵衛康季の養子となった二代与八郎が創流したという。ワキ方春藤六右衛門友尊の女婿で寿閑と号した三世・太郎左衛門重政(生没年不詳)を芸祖とする伝承もある。江戸時代は主に金剛座の座付で、現在も金剛流の謡と共通するところが多い。1870年(明治3)に十三世彦太郎が没して高安家は断絶したが、多くの門人により芸統が守られ、1929年(昭和4)には高安家も再興されている。
能のワキ方の流派。河内国高安に住した高安長助(1585没)を流祖と伝え、金剛座ワキ方で後に10世金剛大夫を継いだ金剛又兵衛康季の養子となった二代与八郎が創流したという。ワキ方春藤六右衛門友尊の女婿で寿閑と号した三世・太郎左衛門重政(生没年不詳)を芸祖とする伝承もある。江戸時代は主に金剛座の座付で、現在も金剛流の謡と共通するところが多い。1870年(明治3)に十三世彦太郎が没して高安家は断絶したが、多くの門人により芸統が守られ、1929年(昭和4)には高安家も再興されている。