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宝生流


ほうしょうりゅう

能のシテ方の流派のひとつ。流祖は観阿弥清次の子とも、兄ともいわれる蓮阿弥重英(?~1468年)と伝えるが未詳。多武峰寺や春日社興福寺の神事猿に「式三番()」を勤めた大和猿外山座に属して演能を行っていた。観世とは室町時代から姻戚関係にあり、芸系も似ることから、観世・宝生を上掛リ(金春、金剛、喜多は下掛リ)という。能が式となった江戸時代は、観世、金春に次ぐ置であったが、将軍徳川綱吉、徳川家斉らが宝生を愛好したため流勢も進展した。1848年には、大夫・友于が江戸時代最後の一大勧進能を神田筋違橋門外で行っている。重厚堅実な芸風で、技巧を凝らした謡の魅力から「謡宝生」ともいわれる。ワキ方にも宝生流があり、金春座付のワキ方・春藤流の金春権七祐玄(?~1692年)を流祖とすることから「下掛宝生流(下宝生)」、または「ワキ宝生」とよぶ。

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