やまとさるがく
中世、大和国(いまの奈良県)を中心に活動した猿楽の座のこと。中でも、円満井座(後の金春座)、坂戸座(後の金剛座)、外山座(後の宝生座)、結崎座(後の観世座)の四座は、強い支配力を持っていた興福寺などに属して祭礼に勤仕し、勢力を伸ばしていった。室町時代には結崎座の観阿弥・世阿弥親子が京都に進出、他座もそれに続いた。大和猿楽の芸風は、荒々しい鬼能などを得意としたとされるが、京都に進出した観世座は歌舞の要素を取り入れ、繊細優美な芸風で評判を取った。戦国時代には四座も危機に瀕したが、豊臣秀吉の保護政策により立ち直り、他猿楽の座を吸収しつつ存続した。その後、江戸幕府も保護を継続したことから、四座は江戸時代を通じて技芸の練磨に専念、現在のシテ方5流に命脈を繋いだ。